にしせんのつれづれなるままに

日々のふり返りを中心にアップしていきます

先僕

インフルエンザAが流行っているらしく

わがクラスにもその波がやってまいりました。

 

明日から4日間の学級閉鎖に。。

水曜日、市の研究授業だったんだけど。

けっこう準備してきたのになぁ。

 

まぁ、人生なんてこんなもの。

切り替えて要録やります。

 

 

今、土曜日に「先に生まれただけの僕」というドラマがやっていて、毎週録画してみてるのだけれど

昨日は嫁と見ていてこんな話になりました。

 

嫁「授業のすべてをアクティブラーニングにして身につくものなの?」

に「うーん、どーだろ。すべてがさっきみたいな感じだと厳しいかも」

嫁「じゃあ、ここはアクティブにここは教えるみたいな感じ?」

に(いや、でも待てよ…)

 

 

 

そこで僕は考えてしまったわけです。

そうなってしまうとアクティブラーニング(次期指導要領では「主体的で対話的な深い学び」だけれど)にはならないなぁと。

 

「ここはアクティブラーニングで、ここは一斉の形でと切り分けている時点でそれはアクティブではない、アクティブにさせているだけ。アクティブになるのをこちらが操作している。」

のだと思うのです。

 

 

「先僕」を見ている人はどう思うんだろう。