教師の役割をおっぱい山で考えた
この週末、娘(3歳。若干、いや、けっこう太ってる。でも超絶かわいい。)と通称「おっぱい山公園」で遊んだときのこと。
いつも遊んでいる一個上のお友達がいたので一緒に遊ぶことに。
「あーちゃん(娘)パパ!一緒に滑り台しよーよー!早く早く!」
「よっしゃー!やろうぜ!」
その子は普段あーちゃんが登らない経路でおっぱいの頂上までグイグイ行く。石に足をかけながら登るんだけどなかなか難しい。
その後をあーちゃんも追うんだけど、体が重いことも手伝ってうまく登れない。
しまいには落ちてしまう。
「あーちゃん登れない!」
と叫び始める娘。
でも、上では
「あーちゃんガンバレ!あーちゃんガンバレ!」の大合唱。見ると、お友達とそのお姉ちゃん(小1。この公園がおっぱい山公園だと教えてくれた張本人)が応援してくれているではありませんか!
「じゃあさ、パパがおしり押してあげるからやってみる?」
と聞くと、何も言わずに登り始める娘。
頂上に着くと、お友達が拍手してくれている。そして、その後お友達と娘を乗せてパパが滑り降りる×5。
その後ターザンロープ、砂の上でお絵かきと満喫しました。
まぁ単純にお姉ちゃんと一緒に遊びたい、というのもあるんだろうけど、ここから教師のやることが見えてくるなぁと思ったわけ。
①到底、今の自分にはむり!と思うものでなく、できるかできなかの瀬戸際をいく課題があること
②応援してくれる人がいること
③待っていてくれる人がいること
④達成した後に見える景色がわかっていること。そしてそれが自分の求めているもの(今回は滑り台シュー!)であること。
⑤目指すものが明確であること。
①と⑤は一緒にできそうだけど、こういう環境を設定することも教師の大切な役割なんじゃなかろうか。
おしりを、じゃなくて背中を押すタイミングも大事だなぁ。
いつか押さなくてすむときがくるんだろうけど。