にしせんのつれづれなるままに

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主体的で対話的な深い学び

今、教育界を席巻している言葉。

「主体的で対話的な深い学び」

 

昨日、研究推進委員会で研究構想図について話し合う場があったんだけども、そのときに生まれた違和感が昨日の夜から消えない。

 

それは「主体的で対話的な深い学び」はゴール(目的)なのか。

 

ということ。

 

今年から研究する内容が国語になったのだけど、例えば国語科の授業では授業を通して「思考力、判断力、表現力」をつけてもらいたい→そのために主体的で対話的な深い学びが必要だよね

という思考の流れだと思っている。ぼくは。

だから

「主体的で対話的な深い学び」はゴールじゃなくてそういった力をつけるためのあくまで手段。

 

なんだか「主体的で対話的な深い学び」という言葉に踊らされている気がしてならない。

 

ぼくの認識は間違っているのだろうか。

先生なみなさん、教育に興味のあるみなさん。

ご意見ほしいです。